広報室
源 友紀美 Yukimi Minamoto
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2012〜13年 インターンを経験
2018年 正職員として入職
インターンの経験を通して学んだ、
伝わる言葉で自分の考えを表現する力
――いつもにこやかな源さんは、東京生まれ、東京育ちの29歳。JBFAでの経験が豊富で、頼れる存在です。まずは学生時代について教えてください。
中学・高校は、バドミントン部に所属していました。ちょうど大学受験を終えた高校3年生の冬、バンクーバーオリンピックをテレビで見ていて、「スポーツっておもしろいな」と改めて感じたのを今でも覚えています。大学では経営学を学びながら、スポーツクラブでアルバイトをしました。周りにサッカーやフットサルが好きな先輩が多く、一緒に観戦しに行ったこともありました。海外留学や長期インターンを経験した先輩もいたので、自然と自分も、学生のうちに、集中的に一つのことにコミットして、自分をぐっと成長させるチャレンジがしてみたいと思っていました。
――そういう気持ちが芽生えていたのですね。JBFAを知ったきっかけは。
大学2年の時、受けていた講義の後にNPO法人ETIC.という団体のイベントのパンフレットをもらいました。そこに載っているのを見たのがブラインドサッカー、JBFAとの出会いでした。
――他にも様々な団体があったはずですが、JBFAを選んだのですか。
インターン先を選ぶときは、知名度よりも団体の理念に共感できるかどうかということがポイントでした。いろいろと読み比べたのですが、なぜかJBFAのビジョンやミッションが自分の中にすんなり入ってきて。当時はなんとなく「いいな」と思って応募したけれど、今思えば、JBFAが目指す社会への共感度が高かったのだと思います。
――2012年2月から約1年、インターンを経験してみて、いかがでしたか。
いろいろな大人が関わって動かしている仕事に、間近で触れることができたというのが実感ですね。常勤職員や社会人ボランティアスタッフの方々に指導を仰ぎながら、主にスポ育の問い合わせ対応やストア業務などを行っていたほか、大会の準備や片付けをしたり、スポ育を実施する小中学校やイベント会場にも同行したりしていました。
――たくさんの人と関わりながら仕事をして、得たもの、身に付いたことはありましたか。
ある事象に対して自分がどう感じたかを、きちんと言葉で表現できるようになったことだと思います。当初、自分では気づいていなかったのですが、どうも私は正解を選んで話そうとするところがあったようで……。インターン中のある日、上司が外部の研修に誘ってくれて、スポーツ倫理などについて自分の考えを言葉にするワークショップに参加しました。テーマをしっかり理解して自分の言葉で話さないと、取って付けたような私の薄っぺらな言葉では大人の方たちに伝わらなくて、鍛えられました。
――同世代の友人に囲まれた大学生活ではなかなか気づけないことですね。その後にも役立ちましたか。
はい。自覚したのは就職活動の時でした。インターンをやっていて時間がなかったので、面接の練習があまりできないまま本番に臨んだのですが、臆せず話すことができたんです。その場で聞かれたことに対して、すぐに自分の考えを整理して相手に届く言葉で話す力が、JBFAでの経験で培われていたのだと感じました。これは、インターンに限らず、JBFAでは求められるスキルの一つかもしれません。
インターン時代、「関東リーグ2012」の皆勤賞を労い、上司や先輩たちが開いてくれた”お疲れ様会”にて、井口 現事務局次長と。当時から和やかな雰囲気の職場。(写真左)
ゼロからつくりあげる醍醐味を
もう一度味わいたくて、転職を決意
――大学卒業後は金融機関へ就職されましたが、JBFAでのボランティアも続けていましたね。
金融機関では融資業務を担当して4年弱ほど勤務しました。その間も、仕事が休めるときには大会やイベントを手伝いました。中でも2014年11月、アジア初開催となったブラインドサッカー世界選手権が渋谷で開かれたときは、どうしても参加したくて長期休暇を取って現場でボランティアをしました。
――本業とブラサカ、いい距離を保ちながら過ごしてこられた印象ですが、4年勤めた金融機関を辞めてJBFAに入職しようと、源さんを突き動かしたのは何だったのですか。
金融機関での仕事は充実していて不満はなかったのですが、ある時、JBFAの上層部の方に声をかけられて、一度じっくり考えてみることにしたんです。転職するにしても、誘われたからという理由ではダメだと思ったので。
――自分はなぜJBFAで働くのか、JBFAである必要は何なのか、といったようなことですか。
そうですね。私はインターンのとき、ブラサカの魅力や、ゼロから大会をつくっていく醍醐味を味わいました。社会人になってからはボランティアとして楽しく携わらせてもらいましたが、よく考えてみるとそれは、JBFAの誰かが用意してくれた場だったわけです。私はやはり、その場をつくる段階から関わりたいんだと思い至り、転職を決心しました。
――入職してからは、どんな仕事を経験しましたか。
法人営業を担当しました。具体的には、アクサ生命なら日本選手権や地域リーダープログラム、SMBC日興証券はキッズトレーニング、参天製薬はキッズキャンプというように、それぞれのパートナー企業さんが応援してくださっているプロジェクトがあります。社内の実行部隊とパートナー企業さんをつないで、プロジェクトを一緒に進めていく立場を1年半ほど経験しました。その後、2019年春頃から広報も兼務するようになり、現在は広報専任となっています。
社会に出てからも続けていたボランティアでは様々な仕事を経験。現場の仲間たちと。(写真右)
大好きなブラサカに関わりながら
広報の仕事を追求していきたい
――広報の仕事のやりがいや苦労することなどについて教えてください。
仕事内容はプレスリリースの作成や取材対応などで、選手やスタッフが取材を受ける際には立ち会い、記事や番組もチェックします。私は、ブラサカとブラサカに関わる人たちが大好きなんですが、彼らの言葉を社会に届ける仕事ができて嬉しいです。一方で、メディアを通じた発信は、言いたいことを言いたいまま発信できる広告とは違うので、選手やスタッフが本当に言いたかったことがきちんと伝わるようにサポートするのが難しいなと感じています。
――この先、JBFAで成し遂げたいことはありますか。
コロナ禍で広報の仕事について集中的にインプットする時間を設けたのですが、知れば知るほど奥深さを感じていて。自分なりに学んだことを今後の実務に生かしたいと思っています。
以前は自分のことを「JBFAの仕事をする人」と捉えていましたが、最近は「広報の仕事をする人」と職種を意識するようになりました。もちろん、JBFAのビジョン・ミッションを胸に働くわけですが、広報という仕事を突き詰めてみたいと思っています。
――今までに、辞めたいと思ったことはなかったですか。
辞めたいというほどではないですが、とくにインターンの頃には、自分の未熟さゆえに仕事がうまくいかず、苦しいことはありました。事務局のある大久保駅に着くと溜め息をついてしまう日もありましたよ(苦笑)。仕事を頑張っていればこそ、誰しも一度は経験するんじゃないでしょうか。
広報担当として選手の取材に立ち会うことも増えた。(写真右)
――職場としてのJBFAはどんなところでしょうか。
いわゆる“会社っぽさ”がないですね。たとえば私の前職でいうと、店舗勤務の場合の仕事は融資業務と預金業務の2種類ほどなので、社員の動機も目標へのアプローチのしかたもみんな似ていました。これはこれで私は好きで、そういうまとまり感って会社にはありますよね。それに比べてJBFAは、仕事が多岐にわたるうえにいろいろな人がいて、仕事に対する動機やアプローチの仕方もそれぞれ。だからこそ意見が食い違うこともあるけれど、決してばらばらなわけではなくて。JBFAのビジョン・ミッションへの共感度はみんな同じくらいなので、お互いに刺激し合いながら同じ目標に向かって進んでいる。そこが、会社っぽくなくておもしろいなと思う所以です。
――最後に、JBFAを目指す方へメッセージをお願いします。
ブラインドサッカーのどんな面でもいいので、興味があったり、好きでいてほしいと思います。自分なりの「ブラサカが好き」「JBFAで働きたい」という気持ちは、苦境でこそ支えになるはずです。あとは、自分のやりたいことがある人と一緒に働いてみたいですね。お待ちしています。