事業推進部 D&Iグループ
駒崎 広幸 Hiroyuki Komazaki
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2018年 契約職員として入職
2021年 フルタイム勤務の契約に
34歳で病気が発覚
旅行会社勤務や新聞配達を経験
――明るい笑顔でスポ育や体験会を盛り上げる駒崎さんは、埼玉県出身の50歳。視覚障がい者としての経験を生かし、契約職員としてJBFAで働いています。まずは、障がいや見え方について教えてください。
34歳のときに網膜色素変性症という進行性の病気であることが発覚しました。今は光が眩しく、視野が狭い弱視の状態です。
――異常に気づいたのはいつ頃だったのですか。
大学卒業後に旅行会社に勤めて10年ほど経った頃でしょうか。パソコンの画面背景が黒から白の機種になったとたん、非常に見えにくくなりました。ストレスや疲れだろうとやり過ごしていたら、仕事の効率が下がり、ミスも連発するようになり、やっと病院に行きました。
――その後、会社を辞め、新聞配達の仕事をされたとのことですが、弱視が進行する中で危なくはなかったですか。
極度に眩しさを感じる僕には、暗いうちに働く新聞配達が合っていて10年ほど続けました。当初は白杖を使わなくていい程度でしたし、歩行者も少ない時間帯なので慎重に自転車にも乗って。その頃は、もう新聞配達のままでいいやと思っていました。
――ブラサカとはいつ出会ったのですか。
リオパラリンピックが開催された2016年、テレビでブラサカのブラジル代表が取り上げられていて興味を持ちました。地元にクラブチーム埼玉T.Wingsがあることを知り、加入することに。そのとき僕は44歳でした。
――運動は以前から何かやっていたのですか。
いえいえ、まったく。むしろ、弱視になってから誘われる機会が増えました。この先何もできなくなると諦めていたから、些細なことでもできると嬉しくて。いまはマラソンやボクシングにもチャレンジしています。
晴眼のファシリテーターとの掛け合いにも慣れ、スポ育や体験会で出会う子どもたちにいろいろな話をしたいと思えるようになった。(写真中央)
リハビリとスポ育講師の仕事を両立
運動が苦手な子にこそ寄り添って
――チームに入ったことでJBFAとの接点もできたのですか。
いろいろなタイミングが重なったんです。見えにくさが進行して新聞配達が厳しくなり、病院のソーシャルワーカーさんから国立リハビリテーションセンターでの自立訓練を勧められました。同時にJBFAを紹介されて。週2日は訓練、仕事は週3日という契約で雇用してくれるということで転職しました。
――最初に任された仕事は「スポ育」の講師。担当してみていかがでしたか。
ブラサカのプレーをちょっと見せればいいんでしょ? くらいに考えていたのですが、人前で話すことも重要だったので焦りました。スポ育のスタート時から活躍してきた元ブラサカ日本代表の寺西一選手(愛称ハジくん)の話を録音させてもらい、全部コピーすることから始めました。
――看板選手が先にいる中、自分らしくスポ育を行うために工夫したことはありましたか。
休み時間に積極的に子どもたちと遊ぶようにしました。選手は見えないぶん、現場でできる仕事が限られますが、だからといって休み時間に座っているだけではもったいない。コミュニケーションをとって自分を覚えてもらおうと考えました。それと、僕はあまりブラサカが上手ではないので(苦笑)、運動の苦手な子やサッカーにあまり好印象を持ってない子の気持ちに寄り添おうと心がけました。
――スポ育の仕事で印象に残っている出来事はありますか。
ぱっと思い浮かぶのは、体育が大嫌いだった小学4年生の子が受講後に「初めて体育が楽しいと思えた」と言ってくれたこと。その日、僕は冒頭のデモンストレーションで失敗したんです。でも、その子は僕の失敗を見て安心したと言いました。「失敗したとき、コマちゃん、笑ってたよね」って。失敗してもいいからやってみようと思ってもらえたことは、涙が出るほど嬉しかったです。教える側なのに、教わることが多い仕事だと思います。
パソコンを使う作業では、各種書類の読み上げ機能を活用するか、背景色を黒にして文字を大きくするなどして対応している。
失う怖さを知る立場生かし
コロナ禍の電話相談も担当
――駒崎さんは、2020年にJBFAが立ち上げた視覚障がい者向けの「おたすけ電話相談窓口」にも携わっていますが、具体的にはどのような仕事ですか。
視覚障がい6人と晴眼4人、計10人のスタッフが携わっています。視覚障がい者の方からの電話応対をする役割と、相談内容に応じて調べた情報をまとめ、72時間以内に回答する役割の2チーム体制で、僕は日によってどちらも担当しています。相談者さんの状況が分かることが僕たちの強みですが、解決策を調べるときなどは晴眼スタッフの力も欠かせません。
――対面で行うスポ育とは異なる電話応対の仕事で、困ったことやつまずいたことはありませんでしたか。
相談者さんと話すことに関しては問題ありませんでしたが、業務に活用していたシステムがパソコン専用で、iPadユーザーだった僕には使えないという事態に直面。皆で試行錯誤したのですがうまくいかず、パソコン教室に通って使えるようになりました。苦労というか、やってみたからこそ気づけたことですね。
――仕事をする中でネガティブな気持ちになってしまうことはありますか。
時々ありますよ。良くも悪くも放っておかれますから(笑)。単に皆が忙しいだけの時もありますし、「これは頼めないかな」と遠慮されていると感じることもあります。とはいえ、JBFAで起こる様々なことは組織にとっても僕にとっても後々の財産になるはず。僕がこの先どう仕事を生み出し、視覚障がい者が働く環境を整えていけるか。常に課題意識を持ってスタッフの皆さんと関わりながら、道がないところに道を作っていきたいです。
――自分にしかできない役割はどのようなことだと思っていますか。
かつて健常者として仕事をした経験は自分の強みでもあると思っています。できていたことができなくなる喪失感や怖さが分かるから相談者さんに寄り添えるかなと。さらに、自分の心境や不自由なことを積極的に発言していくことも重要な役目だと考えています。
――確かに、視覚障がい者のうち全盲の人は実は一握りで、ほとんどの人は弱視だと言われています。困難な状況下、電話の向こうに駒崎さんのような方がいてくれるのは安心ですね。仕事上で駒崎さんが大切にしていることはどのようなことですか。
とにかく、笑っていること、です。相談で重苦しいことを聞いても、何とか相手の人を元気づけて、ちょっと笑えるようにしてあげたい。自分が笑うことで誰かを笑顔にできればいいなと思っています。
電話相談窓口の仕事は自宅かJBFA事務局で行う。マスクとパソコン画面越しでも笑顔を絶やさない駒崎さん。(写真右)
かつての自分を取り戻せる職場で
さらに可能性を探っていきたい
――ほかにも携わっている業務はありますか。
1年ほど前から視覚障がい者が抱える課題解決のためのワークショップを始めました。先日はオンラインで「顔のトレーニング」を実施し、7名が参加されました。日常生活に生かせるよう、マスクをしていても効果的に声を出す練習や表情筋のストレッチなどをして好評をいただきました。
――今後、手がけてみたい企画などは。
「視覚障がい者のための試合観戦ツアー」をやってみたいと密かに思っています。試合会場でアクセシビリティや実況アナウンスなどを体験してもらい、ブラサカを応援することの楽しさも伝えたいです。視覚障がいは情報障がいと言われ、なかなか有益な情報にたどり着けないものです。JBFAはこんなこともやっている、ということを知ってもらいたいです。
――元旅行会社社員の片鱗が感じられますね。そうした企画の源には何があるのでしょうか。
障がいのある僕がJBFAの事業を捉えると、また違った価値が見えてくる、ということはあると思います。例えば先述した顔のトレーニングは、日本代表チームがボイストレーナーさんに声の出し方の指導を受けていることを知り、僕も受講させてもらって発案したものでした。試合観戦ツアーで体験してもらいたい実況も、声を仕事にすることの参考になるかもしれません。
――今までのキャリアと現在の仕事が繋がってきた手応えはありますか。
以前は自分に何一つ自信が持てず、「僕には笑顔とチャレンジ精神しかないです」と面接で言ったほどでした。それでも仕事になって本当に嬉しかった。JBFAでの仕事を通して、かつて持っていたものを呼び覚ます経験ができたおかげで、今の自分があると感じています。
――最後に、JBFAを目指す視覚障がい者の方へメッセージをお願いします。
JBFAは、用意された仕事だけではなく、主体的に様々な仕事に挑戦できます。ブラサカやJBFAの事業にどう自分を関係づけられるかを考えて行動すれば、それが仕事になっていく。スタッフは皆、畑違いのところから来た人ばかりですが、ブラサカを通して物事を考えてみようという組織です。スポ育でもよく言うのですが、自分を信じて、ぜひ一度チャレンジしてみてください!